「日 記」



    何十年も日記をつけていると、おいそれとやめられない。
    病気などで記入できない日があると、あとで思い出し 思い出しして、穴をふさぐ。
    そうしないと気持ちがわるい。
    ”継続は力なり”というが、続けていた習慣をやめるのは容易ではないのは、断酒、禁煙の難しさと変わる
    ところがない。 また 日記の実用価値はきわめて乏しいが、それでも人はせっせと日記をつける。


    あるとき、書いたことは忘れやすい、忘れるには書くことであるということに気づいた。
    それと並行して、頭のはたらきをよくするには知識を詰め込むのはよろしくない。
    どんどん忘れ、整理して、頭をきれいにしてやる必要がある。 
    忘却は頭をさっぱりさせるのに大変大きなはたらきをしている。  そう考えるようになった。

    この二つの思いつきが結びついて、それまでわからなかった 新しい「日記の効用」に開眼した。


    我々は、毎日、おびただしい 情報、知識、ことば、刺激などを受けて生きている。
    大部分は受け取ったとたんに消えるが、重要なものは頭の中へ送られる。
    人によって異なるが、本人が考えるよりはるかに多くのものが頭の倉庫に送り込まれる。
    放っておけば、あふれるから、睡眠中に忘却をすすめる ”レム(REM)睡眠” が何度もある。
    このレムによって、有用でない記憶を排出する。

    ガラクタのゴミが頭を占領しては大変である。 レム睡眠は”不眠のはたらき”をして、頭のゴミ出しをする。
    おかげで、朝の頭の目覚めは、清々しくなる。


    情報化時代と言われる現代、頭に入ってくるものも、かつてとは比較にならないほど多くなっているに違い
    ない。 自然の摂理で進められるレム睡眠だけでは、充分ゴミ出しができないので、頭の中にゴミが残留
    する恐れが少なくない。 いかに賢く忘れるかは、昔の人の知らなかった今の人間の課題である。


    忘れ方にも色々あるが、「文字に書いてみると、忘れやすい」 ということを上手く利用する。

    そう考えると、日記は「心覚え」のためつけるのではなく、むしろ、忘れて頭を整理する効用のあること
    がわかってくる。 
    考えてみると、レム睡眠そのものが、無意識、自動的に日記づけに近いことをしているのである。


    日記をつけることで、実に多くのことを、葬り去る。 小さなことまで書くスペースもないし、時間もない。
     ここで、多くのことが捨てられる。

    そして書き留めておけば、心のどこかで、”もう安心、記録してある” とささやく声がして、本人は知らないが
    ゴミ出しが進む。 日記をつけ終わったとき、一種の快感を覚えるのは、忘却、ゴミ出しが済んで、気分が
    爽快になることの表れだと解することができる。


    こんなふうに考えると、日記は自分の人生を高めるためになると納得できる。
    日記をつけて、その日を忘れることができれば、はつらつたる明日を迎えることができる。
    それは毎日のことである。 休んではいけない。 レム睡眠に負けられない。


    いらぬことを忘れるために 日記はある。



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